miyakiyox’s blog

KMが今日の思いを一言

歌の調べに

 音楽は複数の人に、喜びと快適な感情を与えます。これらは、うれしい、楽しいなどの同じまたは類似した感情であり、同じ感情を同時に共有することと共感は人々の関係性によい作用をもたらします。つまり音楽はお互いを近づける力を持つ文化です。

 会合に集うみなさんを講演会に迎えるときや、一息入れる休み時間にも音楽があればより楽しく快適に過ごしていただけるでしょう。

 学問、勉学などは人の品位を養いますが、音楽など文化にふれることは文字によらない知識と教養であり、視野を広げさせ、深く考える力を与え、現実を正しく理解させます。これは言語と理論がもたらす意味世界における納得とは別次元にあり、一定のリズムを刻む旋律として提供された音楽は、人々の間に協調性などの肯定的な感情と情緒をめばえさせ、社会的なつながりを生み育て、強化することができます。例えば、「舞い」や「儀式」は、社会の団結のために重要な役割をもっていますが、音楽はそれらの力を促進させコミュニティーを強化するのに役立ちます。さらに音楽には、歌詞という詩と文学が大きくかかわっています。

 つまり、日本人が祖先から受け継いできた音楽を知り、伝えることは、日本人の本質にふれ、より豊かな人生をおくる糸口になるでしょう。

 日本国歌である君が代は、歌詞が万葉集、曲は雅楽として1400年の歴史を持ちます。欧米音楽の歴史は700~500年にすぎません。歌い継がれる歌は、古典同様、長年にわたり多くの国民の共感を得た歌であり、日本人の心に共通する心情を含んでいることは疑う余地がありません。たとえば軍歌とよばれる歌も、文字から単純に連想するような軍人だけの歌なのではなく、多くの日本人が心意気に感動しつつ口ずさんできたものです。心して耳を傾け、詩を読めば理解できるように、決して軍国主義とやらを主張したものではありません。戦争を日本人が乗り越えようと心を一に励ましあう暖かさと覚悟が感じられます。特に、戦後も歌い継がれてきたことのには意味があるはずで、戦後の復興と発展をささえたのは、明るく前向きで真摯かつパワフルな日本人持ち前の心意気にあったことは間違いありません。

素晴らしい数々の歌を掲げます。

君が代               紀元節

1月1日              天長節

海ゆかば              蛍の光

軍艦マーチ             若鷲の歌

長崎の鐘              山の煙

暁に祈る              高原の旅愁

空の神兵              あざみの歌

月月火水木金金           

 

 

君が代」について

  出典;『古今集』賀の巻頭、

我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで   (題知らず・読人知らず)

年賀に天皇の長寿を讃美・祝福したものとおもわれるが、『和漢朗詠集』など複数の歌集に何度も再録され、鎌倉時代の写本以後に定着したのが

君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」

雅楽での演奏が伝えられ、明治以後に管弦楽等へと編曲された。

雅楽での演奏は、管弦楽版とことなり、西洋音楽的要素がなく、日本人が本来抱いていたこの歌詞にふさわしい響きがどのようなものであったのかを示している。反面、海外の演奏家管弦楽や軽音楽等で演奏している場合は、歌詞の日本語意味や特徴の理解に欠けているからか、音律は同じでも、楽曲としては異質なものになっている。

 

海ゆかば」の出典大伴家持長歌

  

歌詞は万葉集に由来する。よく耳にするメロデイーは第2次大戦時にNHKにより作られたもので真珠湾攻撃の報道時に用いられ、軍歌や鎮魂歌として受け取られている。しかし、もともと雅楽に楽曲はあり、明らかに寿ぐ歌、祝い歌、民族の団結を誇り高く歌い上げている。雅楽のメロディーは、明治以後、軍艦行進曲の間奏に取り入れられて、有名である。

歌詞の出典は、軍事(武)をつかさどる大伴氏のリーダー家持が団結を歌い上げた歌である。

長歌の現代語訳;葦原の瑞穂の国に、天降り治められた天孫天皇の、その神の御代を重ねて皇位を継いで御代ごとに治められてきた四方の国は、山川が広いので、奉る貢の宝は数えきれず、あげ尽くすこともできません。しかし、我が大君が人々を仏の道にお誘いになり、良い事業(大仏の建立)をお始めになり、黄金が果たしてあるのだろうかとお思いになり、ご心配されていたところ、「陸奥国の小田という所の山に、黄金がありました。」と奏上があったので、御心を安んじられ、「天地の神も良しと思われ、代々の御霊のご加護もあり、遠い昔にあった事を、私の世にも起こしてくれたので、国は栄えるでしょう。」と、神のままにお思いになり、官人らを従わせ、老人も女子供も、それぞれの願いが満たされるまでいつくしみ、お治めになるので、このことを何とも有難くますます嬉しく思って、大伴の遠い祖先のその名を大久米主と呼ばれてご奉仕してきた職なので、

「海を行くなら水に浸かる屍となり、山を行くなら草むす屍となっても、大君のお側で死にましょう。決して後ろを振り向くことはありません。」

と誓い、立派な男として清いその名を昔から今まで伝えてきた、その祖の子孫なのです。

大伴と佐伯の氏は、先祖が立てた誓いを、子孫はその名を絶やさず、大君にお仕えすると言い継いできた、名誉ある家柄なのです。「梓弓を手に持ち、剣大刀を腰につけ、朝も夕も大君の御門をお守りするのは私たちをおいて他にはないのです。」とさらに誓い、その思いは強くなるばかりだ。